日暮れを迎えた質素な酒場には、今日の疲れを癒す一杯を求めてやってきた男達が集まり始めていて、ただでさえ狭苦しい室内が、一層狭く感じられた。
パーシヴァルはその隙間を縫うように進み、上手い具合にカウンターの隅の席を二つ確保すると、自分の隣の席にクリスを座らせた。
その間、クリスはずっと黙りこくったままだった。
パーシヴァルはクリスの様子に頓着せず、忙しげに働きまわる酒場の親父を捕まえると、酒とつまみを二人分頼んだ。
すぐに赤ワインが二つのグラスに注がれて運ばれてくる。
料理が来るまでの間、黙って身じろぎせずに俯いているクリスの様子を、パーシヴァルは口元に笑みを浮かべてじっと見つめていた。
横顔にその視線を感じ、クリスはますます気まずくなって、パーシヴァルから顔を背けるようにして、膝に置いた手袋をはめた自分の両手を凝視し続けた。
もう、何を話していいか、分からなくなっていた。
久しぶりの再会が、嬉しくない筈はなかった。
クリスは、その為だけに無理やり休暇を取って、はるばるイクセまでやってきたのである。
が、先刻見た、パーシヴァルの隣にいた女性のことが気になってしまい、その気持ちを素直に表すことができなかった。
(あれは、誰だったのだろう)
その疑問が、どんよりと胸の内に漂っていて、直接問いかけることもできなかった。
もしかして、と思う。
突然尋ねてきた自分に対して、パーシヴァルは態度にこそ出さないものの、迷惑に思っているのではないだろうか。
一年は、決して短い時間ではなかった。
さっきの女性はパーシヴァルの想い人かも知れないと思うと、ここにいる自分は、一体どうすれば良いのか、まるで見当がつかなかった。
腹立たしさと、久しぶりの再会に沸き立つ二つの気持ちがぶつかって交じり合い、滅多に遭遇しないそんな自分に戸惑って、クリスは次第に情けなさが募っていった。
そんなクリスに助け舟を出すように、パーシヴァルはさらりと問い掛けた。
「いつまで、居られるんですか?」
はっとクリスは顔を上げ、パーシヴァルの顔を見た。
パーシヴァルは、いつもと同じ、やや笑みを含んだような、静かな表情でクリスの視線を受け止めている。
「――明後日までだ」
「良かった」
パーシヴァルは呟いて、今度ははっきりと嬉しそうに笑んだ。
「イクセの豊穣祭を、楽しんで行って下さい」
期限付きの再会であることを、パーシヴァルは先刻承知だった。
元々、逢えるはずのない人がここにいるだけでも奇跡に近い。
だからこそ、
「飲みませんか、クリス様」
先程からクリスが全く手をつけようとしていない赤ワインのグラスを、軽く押しやってパーシヴァルは勧めた。
「再会を祝して」
クリスはパーシヴァルの言わんとするところを理解すると、ひとつ息をつき、意識してぎこちない笑みを口元に乗せた。
「……うん」
意地を張る時間すら、惜しいはずだった。
相変わらず、疑問はしこりのように喉に詰まってしまっていた。
けれど、パーシヴァルがクリスの訪問を喜んでくれていることだけは間違いなかった。
グラスにゆっくりと手を伸ばしてそれを掴むと、クリスはパーシヴァルと杯を軽く合わせた。
「逢えて良かった」
ゆっくりと、クリスはそれだけを告げた。
「私は、亡霊を見たのかと目をこすりましたよ」
「失礼だな」
パーシヴァルの軽口に、クリスはやっと小さく笑いを漏らし、グラスの中身を一気に喉の奥へと流し込んだ。
「……ほら、クリス様、あと一段ですよ」
「……うー、ん……。うるさいぞ、パーシヴァル……」
夜半過ぎ、パーシヴァルは泥酔しきったクリスを介抱して宿屋の二階に運搬する羽目となっていた。
クリスの意識がある間中、無沙汰を責める小言と、先程のパーシヴァルの連れに対するやきもちを延々と聞かされた挙句、のことである。
さすがのパーシヴァルも、苦笑してお手上げ状態だった。
完全に酔いつぶれて半ば眠りの国に行ってしまったクリスを宥めすかして、二階へと続く最後の階段を登らせる。
後は、廊下を引きずるようにして部屋の前まで連れて行くと、寝息を立てるクリスを軽く揺さぶって、鍵の在り処を聞き出した。
ズボンのポケットから鍵を引き抜くと、パーシヴァルは部屋の鍵を開け、窓際に寝台が一つあるだけの質素な部屋へと足を踏み入れた。
「まったく、こんなに正体がなくなるまで潰れるとは思わなかったな……少しの間に、酒に弱くなりましたね、クリス様」
「……」
完全に寝入ってしまったらしく、返答は規則正しい寝息のみだった。
パーシヴァルはまた苦笑すると、空いた片手に下げていたランプを寝台の側にあった小さなテーブルの上に置いた。
そして、半ば引きずるようにして連れてきたクリスを起こさないよう、慎重に自分の身体の位置をずらして、片手をクリスの足の下に差し入れて横抱きに抱き上げると、そっと寝台の上に寝かせた。
腰に下がっている剣を外し、寝台に立てかけて置いてやる。
寝台の端に掛かっていた毛布を引き上げて、腰の辺りまでくるんでやった。
旅の疲れが出たのか、クリスは先程から深い眠りに落ちてしまい、当分目覚めそうに無い。
「そんなに、信用してしまって良いんですかね」
思わず、ため息と共に呟いた。
パーシヴァルはクリスの傍らに腰を下ろすと、じっとその寝顔を見つめた。
夕刻の喧騒は幻のように消え去り、今は眠りにつく者たちの為の静寂が村を支配している。階下の酒場もつい先程、閉店となり、クリスの微かな呼吸も聞き取れるほど、室内は静かだった。
つと手を伸ばして、変装のつもりなのだろう、被りっぱなしだった帽子を取ってやる。
さらさらと、上質の銀糸のような豊かで見事な銀髪が流れ出て、クリスの整った顔を元通りに縁取った。
パーシヴァルの記憶のままのクリスが、ここにいた。
銀髪をそっと撫でる。そのまま降ろした指先に触れた頬は酒精の為に上気して暖かかった。
「――あんまり無防備だと、襲ってしまいますよ?」
声になるかならないか、微かにそう囁くと、パーシヴァルはクリスの襟元のボタンに手を伸ばす。
片手で器用に一つだけボタンを外すと、真っ白な首筋が、ほんの少しだけ露わになった。
クリスは一向に目覚めそうも無い。
「……」
不意にパーシヴァルは顔を顰めると、ボタンに掛けていた手を放し、そのまま己の黒髪をくしゃりとかき混ぜた。
大きく息を吐いた。
「まったく……」
咎める様な視線をクリスに投げかけると、パーシヴァルは寝台から腰を上げた。
立ち上がってからクリスに向き直り、改めて毛布を肩まですっぽりと掛けなおしてやると、桜色に染まった頬に口付けを一つ落とした。
「酒臭いですよ、クリス様」
聞こえていないと承知のうえで、そう耳元で囁いてやると、パーシヴァルはランプを手にとって部屋の扉へ向かって歩き出した。
扉を開け、部屋の外へと出るときに、もう一度クリスを肩越しに見やり、「おやすみなさい」と告げてから、パーシヴァルは部屋の外へと消えていったのだった。
・・・NEXT・・・